6万枚の1枚の版木は縦26cm、横82cm、厚さ1.8cmで3cmの縁がついています。版木の材料は全て吉野桜、版木の書体は明朝体です。現在使用されている明朝体はここから発生したそうです。一切経は仏教思想の三蔵に収まり、釈尊が説かれ、戒められた経と律、釈尊とその弟子達が経と律を解説した論の3つ、つまり一切経6956巻の事をいい、精神面だけでなく、天文、人文、医術、薬学、人道など社会全般のあらゆる面を解き明かしたもの、仏教百科辞典ともいえるものだそうです。経文は古来インドでできた梵文で、これらを中国語に訳したのが玄奘三蔵法師らで、日本に一切経を広めたのは鉄眼禅師です。肥後国益城郡森山村出身の鉄眼道光禅師(1630〜1685)は日本に一切経の版木のない事を残念に思い、寛文4年(1664)頃から大願を抱き、寛文9年、隠元にその志を告げ、その際に隠元より明朝版大蔵経を授かり、黄檗山内に寺地も授かりました。ここに蔵板。印刷所として宝蔵院を建立しました。黄檗層や大名諸士等の支援を受け、鉄眼地震も募金活動をし、延宝6年(1678)に一切経が完成しました。初版は後水尾法皇に進上されました。偉業の一切経の多大な量の版木を見た時、今も江戸時代から続く方法で宝蔵院でお経の印刷が続けられている事を知った時は非常に感銘を受けました。 |