笠置寺
かさぎでら

鹿鷺山 笠置寺は真言宗智山派の寺で京都府の南に位置します。笠置山中には大きな磨崖仏が今に残り、木々が多く、四季折々変化に富む眺望のよい寺です。かってこの寺が隆盛していた頃を思い浮かべながら、後醍醐天皇行在所としての1ヶ月からの興亡を思い浮かべながら真夏の山を歩きました。


笠置寺は巨岩の多い笠置山にあり、山には磨崖仏が残り、後醍醐天皇が倒幕のために戦った遺跡が残ります。起伏ある山での戦いを思いながら1時間弱の修行場巡りは季節により、変化を楽しむ事ができます。 ここは大師堂です。
笠置寺の本尊仏。弥勒大磨崖仏。高さ20m、幅15m、火災により石仏も表面が磨滅、東大寺の良弁僧正が指導し、渡来人が彫刻。平安時代天人彫刻として崇められました。
虚空蔵磨崖仏、実物は線がハッキリしています。弘仁年間の弘法大師がこの石に上り、一夜にして磨崖仏を彫ったといわれますが、奈良時代渡来人に彫らせた石仏。8mx10mほどの大きさ。
元弘の戦いの時、勤皇の戦士がここで戦いを鼓舞するため法螺貝を吹いたといわれます。その後、山伏もここで法螺貝をふいたとか。大変眺望が良いところです。
奈良時代創建の宝蔵庫があった場所。1331年9月北条氏により、焼き払われ、今はもみじ公園となり、紅葉の名所です。
笠置寺の創建は古く、紀元前から巨岩が信仰対象となり、境内からは弥生時代の有樋式剣も発掘されました。1300年前東大寺の実忠和尚や良弁僧正により、笠置山の大岩石に仏像が彫刻(磨崖仏)され、山全体が一大修験場として栄えました。永承7年(1052)以後 末法思想の流行で笠置山の磨崖仏は非常な信仰を受けました。建久2年(1191)藤原貞慶(=解脱上人)が笠置寺から日本の仏教改革運動を展開し、山は全盛を極めました。しかし、元弘元年(1331)8月27日倒幕運動に失敗した後醍醐天皇を笠置寺に迎え1ヶ月の攻防の末、笠置山は全山焼亡しました。以後明治初年迄荒れ寺でした。眺望のよい起伏のある山に残る史跡 1周800mの笠置寺修行場巡り(30分〜1時間)ができます。
山門を一歩入るとそこは歴史の舞台です。 解脱鐘は鐘の基底部が6つに切り込まれたデザインで日本に1つしかない形です。建久7年(1196)東大寺の重源和尚作。 椿本護王宮(桃山時代)豊臣家の再興らしいとのこと。
十三重塔は元弘の戦いの戦死者を弔ったとも解脱上人が母の為に造った塔とも言われます。正月堂前にあります。 東大寺二月堂前の正月堂(舞台造)、笠置寺本尊の大弥勒磨崖仏前の礼拝堂。現在東大寺ニ月堂で行われるお水取りの第1回目はこのお堂の前で行われました。十一面観音を祀ります。
笠置寺には瀧がないのでここを抜けることで身を清めたといわれます。 1331年9月28日後醍醐天皇が鎌倉幕府に夜襲された場所。武器として使う予定だった石。重心が中心があり、人の力で動かせるそうです。 1331年京都御所を出られた後醍醐天皇をお迎えした場所。その後1ヶ月この山で戦いが行われました。
笠置寺 京都府相楽郡笠置町笠置山29 電話0743-95-2848
◎アクセス JR 笠置駅下車 2.5km(徒歩は山道)、山上には有料駐車場があります。
公式URL http://www.kasagidera.com/

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